納豆と納豆キナーゼについて、調べてみよう
納豆が、日本人の食事に登場したのは、3000〜4000年前の縄文時代と考えられています。奈良時代には完全に定着したものといわれています。 「関西納豆工業組合」によると、稲作農耕文化が日本に伝わってきたのは、縄文時代の終わりの頃。そして、弥生時代に入ると、大豆をはじめとする豆類の栽培も始まりました。 しかし、当時の素焼きの土器で、大豆を煮るのは大変なことで、大豆が柔らかくなる前に、土器の方が壊れてしまったんだそうです。 そこで、弥生時代の人々は、煮る時間を少なくするため、あらかじめ大豆を叩きつぶして煮る、という方法をとっていた可能性があります。弥生時代の竪穴式住居は、中に炉があって暖かく、床には藁(わら)や枯れ草が敷き詰められていました。 これは納豆菌にとってはほどよい温度と湿度でした。納豆が出来る条件としては、申し分のない環境だったのです。藁の上に落ちた煮大豆が発酵し、いつの間にか「納豆」になっていたとしても不思議ではありません。 最初は偶然の産物だったかもしれない納豆も、そのおいしさと保存性の良さから次第に製法が工夫され、確立されていったことが伺われます。とあります。 納豆は大豆たんぱく質を酵素分解しているので、人体に不可欠の必須アミノ酸群を含んでおり、それが生理活動を活発にすると同時に、脳細胞の活性化を促します。
納豆には1gに10億個以上という納豆菌がいます。納豆菌は胃酸にも耐えて腸にたどりつきます。腸内にすみつきはしませんが、善玉菌の増殖を助けて整腸作用を発揮し、便通が改善されます。 悪玉菌がつくる腐敗産物の生成を減らし、有害物質を吸着して排泄を促することから肝臓の負担を軽くし、肌や各組織にもよい影響を及ぼします。
納豆の語源は、寺の納所(台所)で作られたことに由来すると言われています。 ”納所”で”大豆”を原料に作られたから「納豆」。至極納得のいくネーミングといえるでしょう。 仏教の戒律によって肉食を禁じられた僧侶にとって、納豆は貴重なタンパク資源となっていたのです。 ただし、平安時代に記録された納豆や古歌にでてくる納豆は、ほとんどが寺納豆のことと思われます。
納豆キナーゼが発見されたのは1980年、シカゴのロビンス研究所で血栓症と酵素の研究でシャーレの中に置いていた血栓が見事に溶けていたのが始まりだそうです。
ここ数年間、納豆の売上げは毎年2桁台の伸びと驚異的で、伝統的食品「納豆」が見直されています。 明治の初め頃はベジタブルチーズ≠ニいう名前で世界に紹介された日本の珍しい食べ物が、今では世界一長寿国の日本人だけが食べている極めて神秘的な薬餌≠ニして国際的にはとらえられている感があります。 この納豆ブーム≠ヘ、NHKテレビなどで「納豆には強力な血栓溶解酵素(ナットウキナーゼ)が含まれる」と報道された1986年頃から始まりました。 その後も納豆菌が骨を丈夫にするビタミンK2(メナキノン―7)を作り出す、あるいは病原性大腸菌O―157への抗菌性などが公表されてから益々伸びているようです。
米に少ないアミノ酸を納豆(大豆)がもち、納豆(大豆)に少ないアミノ酸を米がもっていることから、お互いの欠点を補い合って、理想的なアミノ酸バランスがもたらされるのです。 そんな優れた栄養価をもつ納豆も、商品として販売されるようになったのは江戸時代の中期になってからです。「ナット、ナット、ナットー」というかけ声で売り歩く納豆売りが登場したのも、この時代です。 炊き立てのご飯に熱い味噌汁、お新香、そして納豆という朝食の定番パターンも、どうやら江戸時代にルーツがあるようです。 納豆の効能としては病原性大腸菌O-157を死滅させ、食中毒を防ぐと大学の実験で実証されています。 さらに、
納豆の日は7月10日なんです。ね。「納豆学会」 納豆学会のモットーは、「ハーフ・シリアス、ハーフ・ギャグ」だそうです。 活動内容は、サイト訪問して、「これまでの納豆学会の活動」をご覧ください。 納豆検定制度の創設を計画されているようです。
「関西納豆工業組合」の「納豆」のオフィシャルサイトでは、「納豆についての理解を深め、健康維持にお役立て頂ければ幸いです」と、次の項目を挙げておられます。 ”神秘の食べ物” みんな食べてる? おいしく食べるには? 誰が考えたの? どうやって作るの? 納豆牧場(組合加盟企業のご紹介) 「日本納豆情報・PRセンター」 納豆の作り方 納豆ホームページ Never-Never-Landにようこそ!
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